~光秀を討った“長兵衛"の正体とは!?小栗栖城跡から明智藪まで~
大河ドラマでも話題沸騰中の明智光秀。
主君・信長を本能寺で討ち、天下人に。
しかしたった十一日で、秀吉に敗れ――
光秀が志半ばで倒れた、小栗栖の地へ。
光秀を討ったとして歌舞伎等に描かれる
“百姓長兵衛"とは、
いったい何者でしょうか!?
また、本当に長兵衛が討ったのでしょうか。
今も遺構が残る、戦国時代の小栗栖城。
光秀が槍で刺されたという、明智藪。
地元に伝わる、光秀を討った者の正体とは!?
短かき天下の末、何を思ったか。
光秀最期の時を、
様々な角度からひも解きましょう。
醍醐・小栗栖地域の歴史研究家。ダイゴリア代表。地元住民たちとともに地域史の研究会を運営、また『京・小栗栖風土記』を制作した。ラーメン大好きで、摂取カロリーを歴史研究とマラソンで消費して体重を維持したいと思っているが、できていない。タイ人っぽいとよく言われるが、生粋の日本人。